第8回 税理士試験合格体験記

税理士試験合格体験記

MAC&BPミッドランド税理士法人 代表社員 理事長 齋藤孝一

私が簿記を勉強し始めたのは、公務員時代に、予算執行の杜撰さに呆れ「民間企業の経理を知りたい」と思ったことがきっかけでした。

「簿記のその先を知りたい。そのための言語を覚えたい」という好奇心から専門学校に通い始めると、大学時代にはチンプンカンプンであった簿記がおもしろくて仕方ないものに変わりました。

当時、自治体では単式簿記が採用されていましたが、民間ではすでに複式簿記が当たり前で、その魅力にとりつかれ、そこから経営について勉強しようと思いました。

まだその頃には税理士になることに深い考えはありませんでしたが、日商簿記検定1級に合格した際、簿記学校の先生に、会計士を目指すなら公務員は辞めないといけない、税理士なら働きながらとれると言われ、勉強を続けたいという気持ちから税理士コースに進みました。

簿記論と財務諸表論の2科目は苦労せず一発合格することができましたが、翌年には税法3科目を受験し、見事に全滅、そんなに甘いものではないと思い知りました。

42歳でようやく資格を取得し、先に税理士試験に合格し、売上1億円の税理士事務所を開業していた妻と2人の事務所を合わせた「マック合同会計事務所」を設立しましたが、働きながらの勉強を始めてから合格まで14年もの年月がかかってしまいました。

受験学校をやめてしまえば二度と行かなくなるのは見えていたので、決して学校は辞めず、授業料だけは払い続けていました。

私がなぜ試験に受かったのかといえば、妻の内助の功のおかげ、そして1989年になって加わった消費税法のおかげでした。

妻とは税理士の受験予備校で知り合い、彼女の『人物』に惚れ込みました。

彼女のアパートの本棚に、とても知的な本が沢山並んでおり、本棚の本が決め手で結婚を決めました。

先に税理士試験に合格した妻は、暗記が苦手な私の能力も性格も熟知したうえで、愛の鞭で家庭教師役もしてくれました。

ある年の5月の連休に、名城公園のベンチで妻は私に相続税法の条文を読ませ「10分で暗記をしなさい」と言い、時間になれば「言ってみなさい」と畳みかけ、言えなければ頭を条文集でパカンと殴られました。

また、あと消費税一科目で合格となった段階では、妻がワンルームマンションを借りてきて、サラリーマンであった私に「会社からまっすぐ帰らず、マンションで勉強してから帰ってきなさい」とくぎを刺し、夜の8時頃に妻はお弁当を差し入れにきて「12時には帰ってきなさい」と言い残して帰っていました。

 皆に勧めたい勉強法ではありませんが、暗記が苦手な私はそういうところまで追い込まれないと受からなかったと思います。

 今の私があるのも、現在のMAC&BPミッドランド税理士法人があるのも、すべて妻の「内助の功」の賜物だと思っています。

 消費税は、導入されたばかりで誰もそれまで勉強していないので、受験年数による蓄積のハンデがない皆がゼロスタートであり、丸暗記が苦手な自分にとって「チャンス」だと考えたことが功を奏しました。

この発想が税理士合格の理由であり、その後のビジネスすべての成功要因となっていくのです。

 私たちコンサルタントは、最先端の知識を学び、学んだことをいかにビジネスにいち早く活かすか、そうして、少しでも顧客の役に立つことが求められています。

従前のやり方に胡坐をかき、変化なく、無事であることをよしとするのが一番、などという前時代的な考え方は微塵ももたないでください。

 企業のお役に立ち成長を手助けすることが自分たちの使命であり、そのための努力は惜しまず、学び、考え、動くことを忘れないでください。

「この会社は今の状態のままでいい」など守りに入った発言をしたら、やる気のある社員は皆やめてしまうと思っています。

私自身も成長を止めずに歩み続け、税理士開業10年後の52歳で大学院に進学し、博士号を取得し、全国最高齢の67歳で公認会計士試験に合格し、2018年6月25日の中部経済新聞の記事にもなりました。

 若い皆さんはもちろん、年齢に抗い成長を続ける方々が、人生100年時代といわれる中で、悔いのない人生を送る生き方ができるよう、税理士試験合格のための激励のメッセージとなれば幸いです。

諦めずに受かるまで受験予備校に通い続けることをお勧めいたします。

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